カテゴリー別アーカイブ: インタビュー

インタビューをまとめた記事です

並木良和 先生トークショー -2016年をどういきる・どういかす- 開催

並木 良和 先生

Rocca 平松でございます。並木良和 先生のwebスタッフや企画運営のお手伝いをさせていただいております。

この度、ご縁をいただきまして、並木良和先生のトークショーを新年明け1月6日に開催する運びとなりました。

ハワイアンカフェでお食事をしながら 軽いタッチで和やかに、濃い『2016年』の話を伺っていきたいと思います。激変すると言われている2016年。その中で人間関係やお金・病気・それぞれの使命などをどう捉えていくか、お聞きしてまいります。新年、みなさまと共に楽しい時間をすごしたいと思いますので、ご来場、心よりお待ちしております。

お申し込みはこちら

※ 並木先生 主催によるAPIROSとは異なるイベントとなります。

公式ページ 並木良和/yoshikazu namiki


☆概要☆

■日程;2016年1月6日(水)夜

■場所;広尾 アロハテーブル ナチュラル(東京・広尾駅出口1 徒歩1分)

東京都港区南麻布5-15-14 2F 〒106-0047
http://hiroo.alohatable.com/
■金額;12000円(税込)※当日 受付にてお支払いください
■人数;最大40名弱
■時間;19時すぎ開場 開演19時30分頃より 終演見込み21時過頃 ※途中退出可能です

お申し込みはこちら

dawn of the Earth

並木良和 先生 インタビュー『健康と病気』-vol.2-

前回のインタビューでは、病気を引き起こすメカニズムと理由を中心に並木良和先生に伺いました。今回は、病気とカルマや前世の関連性からお話しが始まります。

-インタビュアーのご紹介-
 『健康と病気』インタビューでは、二年前に発症した病気をきっかけに、並木先生のワークショップに参加されているAさんにお願いしております。

<スポンサーリンク>



 Aさん(以下Q);では前回おっしゃっていた、カルマと病気との関連性として、カルマはどのように作用するんでしょうか?

並木良和 先生(以下N);カルマっていうのは、別にネガティブって意味ではないんですね。ポジティブなカルマというのもありますし。カルマは単に『経験』という意味なので、そこにはネガティブもポジティブも両方を含んでます。

ただ、いわゆる『病気でのカルマ』と一般的にいう場合には、どちらかといえばネガティブな要素を含んでいるんですね。

例えば、今の人生の中で非常に肝臓を悪くしている。生まれながらにでもそうですけど。そうすると、それをカルマっていう視点で見ていった場合、前世では、ものすごくがむしゃらにお酒を飲んで、自分の身体を痛めつけて。その時に同じ様に肝臓のバランスを崩して亡くなっていっているとします。その時の記憶を色濃くもっていたりする場合がある訳ですよ。そこで苦しかったとか辛かったとか。

その時の記憶が癒されないで、そのまんまを次の肉体に持ち越してきたりすると、また同じ様に肝臓にトラブルを起こしてみたりたりすることがあります。それもカルマのひとつの現れです。その経験が、身体に、次の肉体にでてきてしまっている訳ですから。

Q;本人はそれがカルマだとは、なかなか気づけないですよね。

N;そうですね。前世の記憶は持っているんだけど、その記憶を思い出せていない、気づけていない状態の場合、それをカルマだと捉えるのは、なかなか難しいと言えるでしょうね。

例えば、そうやって、お酒で身を持ち崩して亡くなったりすると、逆に戒めとしてアレルギー反応を示す様なかたちになって、次の人生では「一切お酒は飲めません」とかね。また、お酒を飲んだことにより、トラブルを起こして甚大な被害を及ぼしたってことが、記憶に残っていると、またそれが、飲まない選択につながったり、飲めない人間になってみたりします。

Q;お酒を飲まなくても、前世で肝臓を患ったという記憶により、また患う可能性もある。

N;そうです。それがカルマってことです。例えば、よくあるでしょ?「肝臓がんになりました。でも私は一滴もお酒を飲んでいないです。」肺がんになりました。私は煙草を全く吸わないです。周りも吸っていません。」そういうことが、カルマってこともあるし、あとは感情ですね。いつも言っている、自分のバイブレーションのことです。

怒りは特に肝臓に蓄積されるんですね。怒りの感情を手放すのではなくて、我慢をしたり、溜め込んでいる。そうすると肝臓にものすごく大きな影響を及ぼすことになります。特に悲しみの場合は、腎臓や肺に影響を及ぼすことがあります。いつもなにか孤独感を感じていて、悲しい・辛いさみしいとかいう記憶、記憶というより感情ですね。感情が癒されていなければ、それがどんどん肺や腎臓に影響を及ぼしていって、そこにトラブルを起こしていくということがあります。

Q;それも前世の感情が?

N;前世だけではありません。今世の感情の場合ももちろんあります。

Q;それが原因だとなかなかね、ちょっとあの…(苦笑)

N;そう。でも本当はね『今世の感情』って言ったって、前世から引きずっていることがほとんどなのです。

Q;ふーん。。

N;何世紀も使って来ているバイブレーションっていって、ずうっと前のものなんですよ、本当は。でも『今』のものと捉えたりする。

例えばわかりやすく言えば、母親との関係で怒りが湧いてきた時に「今、私、母親に対して怒りが湧いてるんです」って。でも、本当は10年前の感情だったりするんですよ。今のお母さんに怒っているんじゃなかったりする。10年前のお母さんに怒ってたりすることがあるんですよ。だから『今、感情が湧いてきている』って言っても『今』のものではなかったりします。

Q;それがわかるようになるには…自分で振り返る?

N;そう。でもね、いつも僕の教えている『統合』は『その感情が何世紀の前のものである』とか、前世でこういうことがあったので、こういう感情が喚起されている』という風に、その詳しい内容を知らなくていいんです。とにかく、自分の中に出てくるバイブレーションを捉えて外していくっていう風にすれば、根こそぎそれは、外れていくことになります。

そして今のこの時代は、カルマっていうものを大きく清算して、完了させていくことができるエネルギーになっているんですね。そういうチャンスが与えられているという言い方をしてもいいです。だから余計にもう、今まで持ってきたものを、また更に次の人生に持ち越すということではなく、ここで全部清算していって、そして本当に自分が身軽になって、いわゆる悟りを得ていく。そういうエネルギーに地球のバイブレーション自体がなっているんです。いつも言っている様に、宇宙的なイベントなんですけどね。地球はそのように変化をしていっているってことなんですね。

 Q;では、もう病気もただ現実にある一つのバイブレーションとして、『統合』をし、手放す。

 N;そうです。だから病気っていうのは、いずれ無くなっていくことになります。病気が無くなっていくので、いわゆる今までと同じ様な『医者』っていう立場も、無くなっていくことになるでしょう。

でもね、医者が要らなくなるってなった時に「職業がなくなっちゃうじゃないか」って。でもその時には、絶対にその人は今度は、もっとそれに変わるワクワクするものが出てくることになります。

Q;お医者様が? なんでしょうねぇ?

N;それはその人の魂の内容によりますから。「これが終わったら、次のお医者様の道はこれですよ」って決まっている訳ではありません。だって、例えば、今いるお医者様達だって、必ずしも「本当に自分がしっくりくる、これが」ってやっているとは限らないでしょ?

だから、もっと本当の自分にしっくりくるものに移行していく訳ですよ。ましてや、もっともっと自分の中にうそがつけなくなるエネルギーの資質になっていきますから。「あ、やっぱり、自分は今までこれをやっていたけど、本当はこれは自分にとって相応しいって感じていなかったんだな。本当はもっとこっちをやりたいって思っていたんだな」っていうことに、ハッとさせられて、そっちに移行していくことだってあるしね。

Q;では、これからは、自分と一致して生きていくことで、バイブレーションである病気もなくなるし波動が上がる

N;自分に一致していくことで、波動は上がっていくんですよ。

Q;それ=病気のない世界にいく。

N;もちろんです。

Q;はい。それを実現するには『統合』をする。

N;そうです。「『統合』もひとつのツールです。」ということです。『統合』しなければそうなりません。

あ、でも、『統合』はしていくんです、結局。どのようなツールを使っても『統合』をすることになります。僕たちが成長していくプロセスというのは『統合』のプロセスなのです。

これからアセンションという、本格的な流れが起こっていきますが、それは『統合していく』ってことなので。アセンションの反対はディセンションと言うのですが、要するに『次元上昇』に対する『次元下降』なんですね。『次元下降』っていうのは『分離していく』ってことなのです。

だからいわゆる大きな源=神、その宇宙の源というものが神になりますけど、その『神』がひとつの状態だと経験できないのでいくつもにも分かれて沢山の経験をしてくる。それをまた持って戻ってきなさいねって。これは『統合』ですから。

分離から統合へそういうサイクルに今いるんですね。もう『統合』のサイクルに入っているんです。

 

Vol.1 はこちら

<スポンサーリンク>



yoshikazunamiki2014oct

並木良和 先生 インタビュー『健康と病気』-vol.1-

ご好評を頂いている並木良和先生のインタビューシリーズ、続いてのテーマとして『健康と病気』についてお話を伺います。今回のインタビュアーは、二年前に発症した病気をきっかけに、並木先生のワークショップに参加されているAさんにお願いいたしました。


<スポンサーリンク>



 

Aさん(以下Q);今日のテーマである『健康と病気』については、人が一番気になるものじゃないかなと思います。

並木良和 先生(以下N);そうですね。ぶちあたりますから尚更ですね。

Q;では、まず最初に『人はなぜ病気になるのか』という基本中の基本の部分をお聞きしたいのですが。

N;病気の原因も様々なんですけど、例えば、生活習慣での『不摂生』によって自分の身体を病んでいく、害していくということはもちろんあるんですね。それがひとつ。そして『カルマ』といって、病気をすることによって身体が不自由になることもありますよね。その不自由さを味わうことで、自分の魂に足りない資質を見出そうとしたり、学ぼうとしたり、ってところからその病気を引き起こしていることもあります。もうひとつは、いつもお話しているようにサインです。自分が本来の自分に一致した生き方から外れていると『ズレてますよ、外れてますよ。』ってサインを出してくる。この3つが、基本的には病気の原因として挙げられます。

その病気の原因の『自分の不摂生』等は、もちろん肉体だけではなく、エネルギー体というものも乱していくんですね。例えば、チャクラが非常に乱れ始める。要するにチャクラのバランスが均衡がとれている状態が健康だとするならば、その均衡が崩れ、バランスを崩していくので、肉体レベルにいろいろと症状として出てきたりすることがある訳です。

まず、一番最初に重要なのは、肉体ではなくて、本当はエネルギー体なんですね。要するに、川上から川下に流れる流れってあるけれども、これって川下から川上には絶対流れないでしょ?下から上には流れないですよね、基本的には。それと同じ様に、まずエネルギー体から曇っていきます。なんでもそうなんですが。エネルギー体からバランスを崩すんです。それはいわゆる、この肉体の外側にある『エネルギー的なカラダ』とチャクラ』っていうところがバランスを崩していって、それからだんだんだんだん肉体に降りてくるんですね。これが病気のメカニズムです。

だから『いきなり肉体に病気がくる』っていうことは、絶対にないです。必ずエネルギー体にバランスの乱れ・崩れがでて来て、そこから降りてくるんです。最終段階で肉体にでてきます。だからヒーリングの場合では、肉体を癒すというよりも、まずエネルギー体を整えるんです。チャクラを整えてみたり、オーラを整えてみたり。エネルギー体を整えることで、そこのバランスが肉体に現れてきます。そして肉体のバランスも整っていきます。

Q;そうしますと、病気の大小の違いとは、例えば、運動をして筋肉痛になったり風邪をひいた位のレベルと、もう一方は本当に身体がどんどん蝕まれてしまって心筋梗塞や脳卒中になったり。後者は、本人の気づきが遅かったのでしょうか。

N;そうです。サインとして出ているものを、自分がそのサインに耳を傾けていけば、(進行が)停まるだけでなくて回復の方に向かっていくんですね。

簡単な例で言えば、働き過ぎですよってことで、身体が病気を起こしたとします。『こうでもしないとこの人は止まらないから』って。強制ストップという様な形で、大きな病気として現れます。でもその人が「そうだな。身体を酷使してきたな。自分の時間を大切にして来なかったな。自分の気持ちを振り返る時間もなかったな。」と『自分にしっかりと向き合う』ってことができるようになると回復に向かっていくんです。

それでも「休んでられないから」って病室に仕事を持ち込む人もいますよね。そうなると更に耳を傾けていない状態になるので、もっと蝕まれていくしかないんですよ。

Q;現代人として、サラリーマンは皆ちょっとした風邪は薬を飲んで熱を下げて出社したりすることが多いですよね。それはやはり逆らっているということですね。

N;そういうことです。自分と一致していると体調も崩しませんよってお話したことがあると思いますが、風邪っていうものも、そうなんです。風邪すらひかない。周りで風邪が流行っていても、ひかなかったりする訳です。そこの波長にチャンネルが合ってないから。

Q;そうですね。でも、現代人はほとんど無理していますよね。特に日本人は。

N;多いですよね。だからやっぱり、世の中に風邪にしてもインフルエンザにしても何にしても、常に病気の情報ってでてるでしょ?

Q;はい。そしてそのサインを見逃していると…。今がんって多いですものね。

N;だから『サインである』という捉え方ができるかどうかってすごく重要なんですよ。まず人間は、がん等になると特にそうですけど「死んでしまう!」「もう、い、命が!」「『サインだ』なんて言ってる場合じゃないわよ」って。もう、スピリチュアルを学んでいる人だってそうなっていくんだよ。「『がん』なんてなったら、スピリチュアルとかって言ってる場合じゃない」って(苦笑)。もうこれは本末転倒なんですね。

本当にその時に、それを「あ、サインなんだな」って捉えて、そして自分を振り返り、自分の生き方をもう一度見直すチャンスとして受け止められるなら、その人のステージは何個も上がって行くことになるわけですよ。結局言い方を変えると、それくらい大きな出来事を起こして、目を醒まそうとしている訳だから。

Q;がんの話になっていますが、インターネットで調べればこういう症状はどういうステージ・状態まで進んでいて、その生存率が何%という世の中のネガティブな情報によって、患者はとても心穏やかにはいられないし、家族も巻き込みます。そして大概の人は「とても怖い」と死への恐れを抱きます。

どんな人も、魂や精神的なこと・スピリチュアルな世界を学ばない限り、恐れは取れないものなのでしょうか?

N;恐れも限界の限界までいくと、いわゆる、恐れの極みまでいき「ここまで下がって最大限に下がって。そしてどん底までいくと、上がるしかない」って言ったりするでしょ?それと精神的には同じこと。どん底まで恐怖を味わう。後はもう『手放す』っていう心境になります。「もう、降参します。」って。恐れすらも。

恐れでワーとかキャーとかウーってやってることすらも「降参して手放します。」っていう状態になったりします。その時にその人は浮き上がります。そして、そこから精神的に上がっていくことが起きた時には、肉体が奇跡的に回復するみたいな状態になるわけです。本当は奇跡じゃないんですけど。

<スポンサーリンク>




Q;がん患者のBlogをみていると、更新が途絶え亡くなってしまったというパターンがありますが、その人は恐れを手放さず、自分も振り返らず、死をむかえてしまったということなのでしょうか?

N;ううん、振り返っていても、例えば恐れだったら、恐れっていう部分を要するに克服ができなかったんです。恐れを手放すっていうことができなかったんです。

Q;そういう方が多いですよね、実際は。

N;そうですね。でもね、例えば、その克服っていうものができていて、本当に心穏やかになっていて、自分の状態を受け入れていて。「そういう風になっていても亡くなる方はいませんか?」と聞かれたら、そうではなく、亡くなる方もいます。それは例えば『自分が身をもって肉体を抜ける・肉体を去る』ということを周りにみせることで、周りの人達の学びに貢献していることもあったりします。 厳密な言い方をすれば。

Q;そういう役目の人もいると…。

N;中にはいます、ということです。が、多くの場合は、なかなか恐れを手放せずにいますね。手放したと思っていても、手放せてないってこともよくあって。

これも時々お話しているのですが、あるお坊さんが、自分が宗教を極める中で、死の恐怖を克服し、自分の精神のバランスもとれるようになって。そういう人が病院にがんで入院された時があったそうです。その時告知するかどうか、お医者様が聞いた際に、そのお坊さんは「自分はそういう覚悟は、今までの修行の中でできているので全然問題ありませんから言ってください。」とおっしゃったので「あ、そうか。こういう宗教的な背景がある人なら大丈夫なのかも知れないな」とお医者様は思い、告知したんだそうです。

ところが、そこからお坊さんは取り乱してしまって大変なことになってしまったそうです。自分では克服できたつもりでいても、実際にはできてない。そういうこともあったりするんです。

Q;恐れが原因であることを皆が知って手放していくと『治る』ではないけれど、良い状況に行くということですかね。

N;その状態にとどまっている必要がなくなるんですね。本来、僕たちは、健康な状態って自然なことなのです。なにかバランスを崩すので病気になります。病気で学ぼうとしたり、教えようとしたりするけど、皆がそういう意識でなくなれば、病気っていうもの自体を存在させておく理由がなくなるんですね。

Q;気づきの材料なんですね。

N;そうなんです。本当に命と向き合うことになるでしょう? 例えばがん等の場合は特に。大きな材料になるんですよ、病気っていうのは。題材になります。

vol.2に続く

curtaincall

並木良和 先生 インタビュー『生まれてくること、死んでいくこと』-vol.5- 完結編

インタビューvol.5はテーマの『生まれてくること、死んでいくこと』の最終章になります。私達が『故人の死』と対峙した時、どの様に振る舞うべきか、そして自分が『死』に直面した時、どんな経験ができるのか、並木先生に話していただきました。

<スポンサーリンク>




インタビュアー(以下Q);魂は死んだら帰っていくというお話をしていただきましたが、どのようなタイミングで帰るのでしょうか、亡くなってすぐに肉体から離れてしまっているものなのでしょうか?

並木良和 先生(以下N);あの世に渡りますかっていうことですか?

Q;はい。

N;いや、それは人によります。しばらく肉体のそばに留まっているとか、家族のそばにとかね。実際に亡くなられた方とコンタクトを取ってみると「まだ家族のことが心配なので、もう少し自分が見守り、家族の状態がよくなり落ち着いてきて、もう大丈夫だと思った時に向こうに渡ります」って明確に、そこまでは自分はここにいます」って決めている魂もいますし。

Q;友達がこの前亡くなった時にお葬式に行って、彼女の肉体は確かにあるんですが『いない』って感じたんです。

N;そうですよね、本当にぬけがらですよね。

Q;はい、今も来てるかな、なんかそんな感じが。時々まだくる感じがあったり。彼女は彼女でたぶん子供のこととかで…

N;そうですね、心残りがありますね。

Q;(部屋を見渡して)ふふ。いますか。

N;います。で、心残りがあるので、自分が落ち着くまで、自分の気持ちに整理がつくまでいるんですよね。そういう場合「彷徨っているのでしょうか?」って聞かれたりするんですが、それとはちょっと違うんですね。さっき言ったケースと一緒で『自分は肉体はないけれども、サポートをしたい、守りたい』って思う気持ちが、自分でよし、ここまででいい」って思えるまでいたりするのです。

Q;よかった。。私が彼女にしゃべりかけることで、彼女が行きにくかったりするのもな…。って思ったりしまして。そして、彼女は、、〇〇って名前なのですが、〇〇であるという認識はいつまであるのかな?って考えたりします、それはどうなのでしょうか。

N;それはずっと持ってます。向こうに渡ってもちゃんと認識してます。だから呼びかけられれば反応することになりますし。

でもね、例えば霊的な真理としてもうここにいつまでも亡くなった後は留まっているべきではなく、向こうの世界に行ってちゃんと今世の課題の見直しをして、生まれ変わってきなさいって。そういう風に言ってあげるのはいいですよ。

Q;(部屋に向かって)そうだってさ。〇〇。

N;そう。いずれ会うことになりますから。ご家族だって子供だっていずれ死ぬでしょ。僕たちみんな死ぬじゃないですか。そしたら向こうできちんと再会しますから。それが楽しみなんですよ、亡くなった後の。

Q;うふふ。ちかじか行くね とは言っておいたのですが。

N;ちかじか(笑)先に渡っている愛する家族や友人に再会するのは楽しみなものですよ。そう、いずれいくんだから。そこで会います、ちゃんと。

Q;残された者として、逝った者に対して、例えば、しがみつかないようにするとか、どのようにしたら一番亡くなった人が喜ぶのでしょうか?

N;亡くなった人が喜ぶのは、その人たちに対する供養とかではなくて、例えば故人を思う時に、もう、なんで死んじゃったの とか、すごく悲しくて…って、いつまでも落ちている人っていますけど、これは一番よくない思い方です。でもそれは、思っちゃいけないとか「じゃあ思わなければいいんだ」という風に、単純なことで言っている訳ではないんですね。

ある程度、悲しみが癒やされていく迄には、そのような悲しみであったり、泣くことを含めて、怒りもそう。なんで置いていっちゃったのみたいなものも出てきたりもするけど、そういうものも感じるのは、ひとつのプロセスなので決して悪いということではないです。

でも、いつまでもその様にやるのではなく、できるだけ思いだす時には、故人と仲良く過ごしていた時のことであったり、馬鹿話をした時であったり、笑い合ったりとか、すごく楽しかったこと。それらを思ってあげると、そのバイブレーションが共振するんですよ。それが一番、亡くなった方にとってのご供養のひとつとなります。

そして、ご供養のもうひとつのポイントはもう大丈夫だよ、私。心配しなくて平気だから、こっちは」と言って、ちゃんと自分の人生をしっかり軌道にのせていく。自分の人生を一歩一歩進んでいく。確固たる生き方にシフトをしていけば、もう心配しなくていいんだもの。あ、もう大丈夫ねって。それが一番亡くなった方に対するご供養になるでしょう。供養という言い方をするのであれば、お線香をあげることではなく心配させないっていうのが一番なのです。

Q;心配させない。

N;そう、心配させない。

うちの父親が言っていたのですが自分が死ぬのは構わない。でも残された家族、うちの母親や子供、孫が心配だって言うんですよね。自分が逝っちゃった後にどうなっていくだろう」って。肉体を持っていないから何かをしてあげることができないでしょ。自分はいいが、残された者のことを考えるとすごく辛くなるって言ってましたけど。

だからこそ余計にこっちは平気だからって。ぜんぜんだいじょうぶよって。それこそさっきの『ちかじか行くじゃないけど「そのうちいくからねって。いやって言ってても、泣き叫んだって行くんだもの。

その時に逆にどの面下げて来たの?って言われたないようにしないといけないのです。

Q;まっとうしてしっかり生きる。

N;そう。どういう生き方をしてもいいのですが、自分が恥ずかしい生き方をするのではなく、「ちゃんと生き切ってきたよ」と言える生き方で、堂々と故人たちと会えるようにするというのは、とても大切なことです。

Q;本当ですね。ありがとうございます。

N;死ぬってことをとても極端に恐れている人がいますけど、死ぬっていうことは、すごいシンプルな言い方をすれば、肉体から抜けるだけなので。『苦しい』も痛い』も怖い』もないのです。

僕は過去生の記憶を持ってますが、亡くなった時の記憶も持ってたりするんですね。自分が過去に亡くなった時の記憶。

その時は日本人ではなかったので、ご臨終です」っていう言い方とは違うのですが、それにあたる言葉を言われ、それを聞き、そして聞きながら抜け出て行くのです。だから、途切れないんです。ずっとその意識を持っていきます。ガガガガって螺旋を描いてスルっと抜けていくんですね。抜けていくとそこに周りに取り囲んでいる家族やお医者様の先生が自分を見ているのです。でも、ずうっと意識を持ちながらですから、何も記憶が無くなったりわからなくなったりはしないのです。でも家族は、死んだのやれどうだこうだってやってるけどいやいやいや、私はここに居るんだけどってなるわけですよ。

亡くなること自体、死ぬこと自体は、痛くもかゆくも苦しくも怖くもありません。すごい安心感に包まれるんですよ。本当に。死ぬ時って、なんていうのかな…ホルモンって言ったらいいのか…。

Q;分泌されるんですか。

N;そうです。麻薬的な心地いい、ハッピーホルモンの様なものが出るんですよ。すごい心地いいわけです。病気で身体が病んでたり、痛いってことがあっても、死ぬこと自体は苦しいことではないです。

魂がググぐっと抜けていく時に、身体が揺れたりするときもあるんですね。それをみて苦しんでる?!とかもがいてる??様に家族からは見えたりするんですが、本人は苦しくないんですよ、全然。

だから、いつまでも「苦しかったね」辛かったね」って記憶してそれが離れないんですって言うけれども、そうじゃないと知って欲しいのです。で、もちろん肉体から解放されれば、痛みからも苦しみからも完全に解放されることになりますし、本当に安らいでいます。

一番亡くなった方とコンタクトを取る時に、必ずまず、9割以上の方が私のことは心配要らないって言ってくるんですよ。自分の事は心配要らないって伝えてください。それだけ心配してるの、皆成仏できてるかとか今も苦しんでるんじゃないかとか。それを知ってるからその様に言ってくるんですよ。「私はだいじょうぶって言ってください」とかね。9割以上の方がそうやって言います。

向こうの世界には、霊的な魂の家族がいますから。波長の合う人としか一緒にいませんから向こうはこっちは波長の合わない人とも、なんとか合わせてやって行こうかとしますけど向こうは無いので

だからね、よくお墓にすごく仲の悪かったご夫婦や、嫁と姑が「一緒に入れてくれるな」とか言うでしょ?だけど一緒に入ったって、そんなに合わないなら、向こうでは会いさえしませんから

Q;死んで解決ですね。(笑)

N;そうですよ本当にあぁイザコザだって「なんだ、こういう学びだったんだ」ってことが解ったりするわけですよ

<スポンサーリンク>




N;だから言い方を変えるとねここでいろいろと骨肉の争いだライバルだってありますけど、これも全部お芝居なの

Q;おしばい?

N;そう。そういう役割を演じてるの。そうやって学んでるんです。向こうの世界では仲よかったりもするんですよ例えば。「今回ごめんね〜意地悪役だけどさ」「平気へいき、知ってるからさ」って言ってて、こっちに来るとすっかり忘れているから、「何あいつ!あたし、もう許せない!!」とかやってるけど、向こうに帰ったらお疲れ〜」「ごめんね〜痛かった?」ってやってたりすることもあるんですよ。

Q;まさに舞台裏なわけですね。

N;そうなんです。僕は劇団四季とか舞台を観るのが好きなんですね。ある舞台を観ていた時に、舞台が終わって、最後にカーテンコールで、悪役も善人もみんな手を繋いでニコニコしながら挨拶をするでしょ?

その時にガイド達がこれだよって言ったんですね。「これだよ、ってどういう意味なんだろ?」って最初わからなかったのですが、その舞台の中では、敵味方で斬り合ったりしてて、今はこうやって手を繋いで…。「あ、そうかそうか。うんうん」って。

「ここの世界ではこうやってるけど、こっち、高い次元ではそうじゃないんだよ。」って「あーなるほどね」って思ったんです。

Qわかりやすいですね

N;まさにこれだよって。突然言ってきたんです。えっまさにこれってなに?ってなったんですけど 。(笑) 

そういうことなんです。だからみんな女優だし、俳優なのです。俳優をやらなくても俳優をやっているのです。「私女優になりたかったんだけどなれなくて」って言うけど「やってますから女優を、既に。」って。

Q演じているんですね

N;そう、だから楽しく演じるんです。でね、それに気づき始めたらそれを変えることもできるんですから。

Q;演目とか、役とか。

N;役を変えてしまえばいいんです。気づかない時だけ自動的にずっとそれを演じ続ける。みたいになるのです。それに気づき始めたら「なんだ、私この役もうやーめた」ってできるんです。主人公は自分ですから。自分の人生のね。みんな脇ですから、あとは。

Q;脇(笑)でも自分なんですね自分が全てなんですね

N;そう、自分の人生の主人公は自分です。あとは全部脇役。みんな脇なんだから自分がいちばん力があるんですよ、主人公だもの。

それなのに「この人には太刀打ちできない」なんてある訳ないんですよそういう役を演じ、力のないわたしを演じてるんです。「この人はすごい!この人に比べたらね…」っていう役を演じてるの。だからそれに気づかない間は、ずっとカルマに応じた役を演じ続けなければならなくなるけど、気づいたらそこから抜けられます。

Q;自分の物語の主人公になるのですね。

今日は本当に貴重なお話をして頂き、ありがとうございました。

<スポンサーリンク>




Vol.1 はこちら

Vol.2 はこちら

Vol.3 はこちら

Vol.4 はこちら

 

 並木良和先生のプロフィール はこちら

jesus

並木良和 先生 インタビュー『生まれてくること、死んでいくこと』-vol.4-

インタビューvol.4はテーマの『生まれてくること、死んでいくこと』の後半になります。まず私達が『死』と向き合った時すべき事、心構えを中心に様々な事をお聞きしました。
<スポンサーリンク>




インタビュアー(以下Q);生を受けて、人は死んでいく訳ですが、そういった中で急に人を失くしたりとか、若くして、もしくは生後すぐとか…。家族の方が理解しきれない部分があるように感じます。そのような時、私たちはどのように受け止めていったら良いでしょうか。

並木良和 先生(以下N);どんなに若くして亡くなっても、寿命だと、まず知ることが大事です。若くして亡くなったから寿命じゃなかった、ってことではないのです。大往生したから寿命だった、ってことではないのです。まずはそれを理解することがとても大切です。

僕たちは学ぶために、自分の中で『経験値としてこれが足りない』っていうものを経験するために生まれてくるのです。例えば、赤ちゃんで、生後何ヶ月、生後何週間で亡くなる子がいますけど、皆から最大限の愛情を注がれて生まれてきてくれてありがとう」って言われ、その子は愛情を一身に受けますよね。この『愛情を一身にうける』という、この経験だけが足りなかったという魂は、それだけを経験して『OK。』って納得して帰っていくのです。

だから、そういう場合、自分たちに落ち度があったんじゃないかとか、自分たちは何かできたんじゃないのかとか、考えたりしますが、そうではないんです。もう、魂の学びを終えたら帰るんです、向こうに。ここは仮だから。ここはずっといる場所ではないのです。

Q;ここは仮…。

N;そう。ここは仮です。皆、ここが全てだって思ってしまうところから、誤解が生じ始めるんです。生に対すること、死に対すること、どちらもそうですが。

とにかくここに生まれたからには、ここでなんとか永らえて生きていくことが大切。とか、できるだけ長い期間ここにいることがよくて、死ぬということはとても不幸で悲しいこと。って言うけど、向こうの世界では、逆に、帰ってきたらおめでとう!なんです。お疲れ、大変だったねなんです。

ここに居れば、生きるために仕事をしなくてはいけない、生きるために食べなければいけない といったいろいろな制限があるけれども、向こうでは無くなります。肉体的な苦しみもないですし。向こうからこっちに出て来るときは、「(情感を込めて)あぁ、、大変だね行くんだ…(時期が)来たんだね…なんです。でも結局、魂が成長するために必要な経験というものがあって、それを知っているので、こっちに来るわけです。この地球にね。

本当は、魂の方は向こうが帰るところなので帰りたいんです。とっと降りて行って、とっと帰りたい。行くんだ〜?そうなんだよ。かったるくてしょうがないけど、やんなきゃいけないもんね〜。サクッとちょっと行ってくるわ!なんです。

Q;(爆笑)面白いなぁ。

N;そうですよ。 向こうの世界は、時間や空間の概念がありませんから、何年待ってるとか長いなあなんて意識は無いわけです。何十年とか意識するのはこっちだけ、向こうは一瞬くらいな感覚ですから。

Q;向こうにいる時に『しばらくいる』といった観念もないから…

N;そうです。だから、自分の魂が学ぶためのタイミングがやって来たら行くわけです。でも、選択権は多少はあるんですけどね。ガイドがそろそろ行くときだねって言ってもまだ行きたくないです」って具合に、多少ね。でも、いずれは行かなければいけません。

Q;人によって、生まれる迄のスパンが長い人もドンドン行くって人もいるのでしょうか?

N;特に現代は、亡くなってからここに生まれてくるまでのスパンは短いです。今までだと、1000年単位をかけてる人もいた訳です。でも1000年とか開いちゃうと、何がなんだかわからなくなっちゃうんですよ。カルチャーショックみたいな、全然機械ものがわからないとか。右も左もわからない様な。(笑)本当にそうなんです。

だけど、今は何年単位とか数十年単位で生まれてくるとか短くなりました。この時期は、すごく大きな変容の時期ですから、チャンスなんですよ。

Q;魂も生まれ変わるチャンスってことですか?

N;いっぱい学べるチャンスなんです。変化がいっぱいあるでしょう?今って。ものすごいスピードで物事が変わっていくじゃないですか。例えば過去の20年間もそうですし、これからの20年は今迄以上に加速して進化していきますから。だから、いっぱい学べるのでいっぱいカルマを解消するチャンスがあるんです。

今迄は一つの人生の中で1個か2個のカルマの解消していたのが、現代では 何十回分もの人生のカルマを外す事が出来るのです。一つの人生で何人もの人生を生きている様なかたちになるのです。その様なチャンスがあるので、こぞって生まれてくるんですね。

そして、それだけではなく、地球という惑星自体が大きな変革期を迎えているので、そのエキサイティングな状況を経験したくて、生まれてきている訳です。

Q;行く!行く!!みたいな感じですか?

N;そうです、チケット待ち!みたいな。

Q;あー(笑) 5時間待ちか… みたいな?

N;そうそう、本当に列を成して待っているわけです、地球で肉体を持ちたくて。でも肉体の数の制限はありますから「あー生まれらんないなーとかハイ、ここまでです!とかえーうそー超待ったのにとかそんな感じです(笑)。

Q;(爆笑)ディズニーランドみたいですね。アトラクションを楽しむ様な…。

N;そうですよ。もともとはそうなんだから、本当に。

<スポンサーリンク>



Q;なるほど。どんなに若くして亡くなるとしてもですね…。 だから虐待されて亡くなる子供達にしても、それを学ぶためにここに来たりする。

N;そう。そこには、カルマがあったりする訳です。いつもこれは言ってますが、虐待をしている親が、過去生では虐待をされている子供という立場を経験していたり、真反対をやっていることがある訳ですから。虐待を受けている子供が、過去生では自分が親の立場になって、子供の立場になっている今の親を虐待している。そんな風に立場を替えて、経験しているのです。子供の魂だって、ちゃんと自分で選んでここに来ていますから。虐待される様な環境を選ぶ訳がないって普通には思うかも知れないけど、でも魂の視点では違うのです。

だからもしかして、ここに生まれてきたら、虐待をされて殺されてしまうかもしれないということも覚悟の上なんです。でも、もしかしたら、親は良心を持ってそうしてはいけないんだって虐待を止めてくれるかもしれない。っていう期待を持って…。

Q;止めてくれる場合も有るわけですよね?

N;そうです。虐待をされた側は、単純な言い方をすると、立場が逆になった時『虐待をしたい』衝動に駆られる訳ですよ。だけど、やられたからやっていいんじゃないんです。やっちゃったら、あ、残念、不合格。」になる訳です。でも、こういうことしちゃいけないんだ、自分を変えていかなきゃ。子供のために、自分のために。と、できた時に「あ、合格。」になる訳ですよ。

相手がやったらやっていい。やられたらやり返す ってやっていたら、いつまでもエンドレスでしょ?

Q;「エンドレスになるから止めよう」って、確かに子供でもわかる子はわかりますね。

N;そうですよね。例えば、昔あったでしょ、仇討ちって。仇討ちをしたいと正当な理由で仇討ちをして、そして仇討ちをされた側も家族が居ますよね。その子供は、またその人を仇討ちする訳ですよね。もう、きりがないんですよ。

Q;それを「僕はここで止める」って。

N;そうです、そうです。『赦す』っていうことです。

Q;他人への赦しもですし、自分への赦しも、本当に大切だなって最近思います。

N;そうです。赦しとは、最大の学びなのです。だからイエス・キリストは本当に赦す人でした。全てを赦す。

例えば、自分を迫害した人達も赦すこと。神に赦しを請うたでしょ?「彼らをお赦しくださいって。彼らは自分たちが何をやっているかわかってないのですと。

言い方を替えると「彼らは眠っているのです」と言っているのです。目覚めてないのです」って。

 

Vol.5に続く

Vol.1 はこちら

Vol.2 はこちら

Vol.3 はこちら

 

 並木良和先生のプロフィール はこちら